2013年10月20日日曜日

卒業制作

藤村です。
15日間連続課題おつかれさまでした。大変だったけど、充実していた気がします。
作った作品の方はコンセプトもいっしょに、今度写真に撮ってアップしようと思います。

このまま卒業制作にシフトする意味で、昨日の講評を受けて、今考えていることをまとめようと思います。

先週出した展示場所希望申請には、「記憶のゆがみ」というテーマで案を提出しました
記憶には色々な意味があって定義することが難しいから、そのどれかにフォーカスを当てないといけず、そのことをずっと考えていましたが、全く決まりませんでした。

焦りまくって場所をどうするのか、という先週のゼミでの話の中で、もう一度「記憶」という言葉に魅力を感じることになったきっかけである「地図を描く」という行為を掘り下げました。
やったのはJR新小平駅からむさびまでの、いつも僕が通る道です。これを何も見ずに記憶だけでその位置関係と建物の並びなんかを書き出すのですが、これがなかなかに辛かったです。
まず、普段見ているはずなのに殆ど思い出せないこと、はっきりとした印象のある建物が殆どないことが意外でした。
いつも僕は何を見ながら学校まで行っているのでしょうか。
本当に学校まで行けているのでしょうか。
そういう哲学的なことは置いておくとして、ひとつおもしろいことがありました。
頭の中に残っている映像を、鳥瞰で紙に変換し直す行為の中で、ゆがみが出てきたのです。
奥行きを鳥瞰で表すときに、あるはずの道が記憶の地図上で抜け落ちていたり(あとで見返して、自分でもはっきりおかしいと分かるくらい印象に残っている道)
あるはずのない家が地図上で出来上がっていたり
地図として完成させようとするから、思い出せないところを埋め合わせしようとして、無理矢理描いてしまった家、覚えているのに、描くことができなかった道。
記憶が不安定なものだから、こんなゆがみがいくつもできあがっていました。
アイレベルの視点と鳥瞰との多次元的操作の中に起こるこの不思議な空間は、記憶が抜け落ちていたり、意識していない無意識の、「記憶の暗闇」というふうに僕は捉えました。

これを卒業制作として空間に表現するため、鑑賞者にも2つの視点で作品に干渉してほしいという理由で、7号館と8号館の間の植え込みと、その脇の石垣のあたりを展示場所として申請しました。


で、昨日の講評ですが、核心をつかれたような言葉がいくつもあって、例えば

「社会の中の、不満や矛盾、それって何?という社会に対しての批判的な姿勢」
「社会派的な思考をしつつ、一方で記憶という個人的なものにテーマを置いている謎」
「物質や形態の内側、普段見えないはずのものを見せる行為」
「毎日鏡を見るように、見えているものを確認することで自分の所在を確認している」

など、ものすごく自分でも思うところがあって、
僕は決してメディアを批判しているわけではありませんが、映像のみでやり取りされる情報というのを、本当に信じてはいけないと思っております。
その代表的なものがパソコンやテレビなんかですが、知らないこと、知らないほうがいいこと、たくさんありますけど、表面だけを信じて生きるのも全てが正しいとは言えなくて、それで、この卒業制作で、そんな問いかけも同時にできればいいなと思いました。

話が前後しますが、鳥瞰というのはその通り人が見るはずのない景色です。
それを地図で表して、なぜ目的地まで行けるのかというのもよくよく考えればおかしな話ですが
なにか面白くできそうな気がしているので、このまま進めていこうと思っております。

少し間が空いてしまいますが、頑張りましょうー
土屋スタジオ鍋もそのうちに楽しみにしております

藤村

2013年10月1日火曜日

藤村です。

夏休み明け初めての更新ということですが
こないだゼミで撮った、額田の資料のための写真をすべてあげておきます。
明日からバイトが入ってしまいましてゼミ室に顔を出すのが難しくなりそうなので。
いくつか重複してますが、ご了承ください。































さて今週のゼミは実像をもってこいとのことなので、ようやく手を動かし始めましたが、
まだまだ先が見えず不安はたくさんです。

僕は、僕自身がどうして記憶という言葉に惹かれているのか、それを整理する意味で
東京散歩の時にやっていた「記憶で地図を描いてみる」のをもう一回やってみました。
googlemapで印刷した白黒の地図の、歩いたことのある道にマーカーで色を付け、そこで起きたこと、自分の感情などを思い出せる限りメモするというような作業です。

やっぱり書いている間に、記憶が重なってどんどん地図が詳しくなっていくその過程がすごくおもしろいなと思います。
記憶が記憶を呼び覚ますというか、思い出話に華を咲かせているときの「あーそういえばあん時あんなこともあったよね」みたいな感覚。

今、俯瞰的な視点で記憶を振り返るからこそ見えてくるこの変化。これが僕が思う、記憶の面白さだと思います。作っている間にどんどん形が変わってくるみたいに、見る度に形を変えたり、違う形で見えてきたり。
そういうことをしたいなあと思うのですが、具体的な形はまだ見えず、言葉でごまかしている感があり、非常に悔しいです。
この地図は、東京散歩の時に製作したものなので、当時の見解に頼らず新しいものを提示できるようにしたいと思います。制作費を稼ぐためのバイトもしつつなので、時間に限りがありますが、頑張ります。頑張りましょう。

藤村